知覧武家屋敷庭園ガイド

江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせました。知覧もその一つです。
「知覧麓の武家屋敷群は、薩摩の麓の典型的な作例の一つで、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観にも優れ、我が国にとってその価値は高い。」として、昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
また、同時に地区内の7つの庭園が「優れた意匠で構成されており、その手法は琉球等庭園と相通じるものがあり、庭園文化の伝播を知る上でも貴重な存在である。」として国の名勝に指定されました。
指定された7つの庭園の中で森重堅邸庭園のみが池泉式で、ほかは全て枯山水式となっていて、今に残る枯山水の伝統美と時代の息吹を感じさせてくれます。

鯉の放流

武家屋敷通りと並走する県道沿いに清流溝があり、麓川(ふもとがわ)の疎水で、鹿児島水産高等学校の学生が育てた鯉の稚魚が毎年放流される。鳥に食べられる可能性があるため、地元の人が作った鳥よけの缶がぶら下げられている。

知覧武家屋敷概要

武家屋敷通りは、日本の道百選に選ばれていて、直線距離で700mほどあり、防備を兼ねた城塁型の武家屋敷群で、敵が攻めてきたとき、道が屈折しているので攻めにくい作りになっている。武家屋敷の庭園は、母ヶ岳という山が借景として入るように設計させていて、京都の町から比叡山を見るのと似ているので、小京都と言われている。

武家屋敷の中には、武家の茅葺きの家と民家の茅葺きの家と2軒の茅葺きの家がある。

知覧型二ツ家(民家の茅葺きの家)

知覧大工によって創作された知覧独特の建築文化で、居住用のオモテと台所のあるナカエが別棟だったものを、生活の不便が多く次第に近づけるようになり、合体したものとのこと。

部屋の両隅に戸袋があると光が入りにくいため、家のつなぎに近い方に戸袋を作り、雨戸の方向を変えるための(辻妻)棒があり、雨戸を1か所に納める仕掛けがある。ここの家はかぎ型だが、家によってはコの字型のところもあるそうだ。

切妻棒を使った雨戸返し

知覧傘提灯

武士の内職として作られていたもので、1本の竹の節から出来ていて、それを32本に分割し、傘やちょうちんとして利用することができると同時に、刀をよけるための護身用としても使われた。しかし現在は伝承者がいないため、作られていないそうだ。

石垣

丸石で積み上げられたもの、切り石で積み上げられたものに分かれるが、門構えを見ると分かるそうだ。石垣の上の生垣(いけがき)には、お茶の木・その後ろにイヌマキで垣根が造られている。お茶の葉っぱは時期になると、昔の人は摘んで飲んでいたそうだ。

お茶の木

お茶の木は、ツバキ科で10月には白い花がいっぱい咲き、1~4個程度の小粒の実がつき、それを擦ると猿の顔が出てくる。

国の重要伝統的建造物群保存地区

薩摩藩の外城の知覧麓は、典型的な造りの一つで、折れ曲がった通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観にも優れ、その価値は高いという理由で、昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、その後、出水麓・入来麓・加世田麓が選定された。

腕木門

右の門は、切り妻の屋根の下に小さな屋根がついていて、4本の柱で支えている。本家筋が使用する門で、石垣は切り石になる。

ほとんどの家の門の入り口には、ヒンプン(屏風岩)と言われている目隠しがなされていて、敵が攻めたときにすぐに到達できないようになっているが、家によってヒンプンの形は違うそうだ。

屋根の下の小さな屋根がない門は、分家筋で、石垣は丸石になる。

知覧の門はすべて引き戸だそうだ。

蔵の屋根と壁は、紐で繋がれている。これは、蔵が火事になったときに、ひもを引いて落とし、蔵の中のものが蒸し焼けにならないようにするためとのこと。

佐多民子庭園

石をたっぷり使い、深い山や谷を表している庭園。位の高い方を接待する場合、中門を通って縁側からお迎えする。廊下の前に置いてある大きな石は、鉢前といい、建物と庭を結ぶ重要な役割を果たしている。大きな石には石目にそって割れ目があり、牛馬で運びやすくしているが、数頭で人数もかけて10日間かかり運んだそうだ。

石や砂や植物を利用して、山とか島とか川を作り、半島や水の流れを表現した日本の代表的な庭園の形式を枯山水という。砂は白砂を使っているので、天気がいいと真っ白になる。三つの石を組み合わせていて、真ん中の石を高くし、両側を低くすると、安定感があり、バランスが良い。三つの仏像が一組になっている三尊仏からきていて、三尊石組というそうだ。腰掛けるような石があるが、これは盆栽を置いて和歌や俳句を詠むためのものとのこと。

石敢當(せっかんとう)

小さな道を「しゅ」といい、武家屋敷通りにぶつかったところに、「石敢當」という目印がある。邪気が入ってこないようにという意味があるそうだ。

佐多直忠庭園

今日は山が見えないが、母ヶ岳を借景として入れ、生垣が波打つようになっていて、一体感を演出していて、京都の町の風景に似ている。イヌマキは丈夫で形を整えやすいので、庭園づくりには重宝されているそうだ。

武家屋敷通り散策

薩摩藩は武士が26%(他藩の通常は6%程度)と多く、知覧では武士350軒5000人いたが、商家は10軒しかなく、武士は自給自足をおこなっていた。

知覧の殿様が薩摩から戻ってくると、雨が降っても滑らないように道に白砂を撒いて迎えていた。

11月中旬に、通りや川に竹灯籠を並べて「ちらん灯彩路」という幻想的なイベントがあるそうだ。

通りには勾配がついていて、水が低い方に流れるようになっているので、家は少し高くなっていて、必ず階段で上って入るようになっている、

旧高城家住宅(武家茅葺き住宅)

明治以前に建てられた武家の茅葺きの住宅で、門を入ったところに、ハート型の手水鉢がある。 猪目(いのめ)といい、魔除けの意味がある。

また、門を入ってすぐのところに厠がある。その意味は、3つある。ちなみに、家の中の床の間の後ろにも厠はあるそうだ。

  1. 往来していた人たちの話しを聞いて情報を取るため
  2. お客様用に先にトイレにいってから、家に上がってもらうため
  3. 外へ行く前に用を足してから出かけるため

武家と民家の茅葺きとの違いは、下記の2つとのこと。

  1. 茅葺きの下に小屋根がついている
  2. おとこ玄関とおんな玄関がある

森重堅庭園

住宅の造りは、オモテとナカエで連結されている知覧型住宅で、もともと茅葺きだった屋根には、尾垂れ(おだれ)という庇があり2段になっていることがわかる。玄関は、飛び石の先にある玄関がお殿様用、その横に主人用、ナカエの方に家(女性・使用人)用の3つに分かれている。

建物に平行して庭が作られていて、江戸時代中期にはやったそうだ。この庭には水が枯れずにずっと湧いているので、ここだけ池を作ることができた。

杉の木が借景に入っていて、その後ろには亀甲城があった。

大河ドラマ「西郷どん」の沢村一樹さんが演じた赤山靭負が切腹するシーンとして、この庭が使われたそうだ。 

門松

知覧の門松は、1週間ごとにお色直しをする。最初は、白砂を円錐状にして、そこに3度3度ご飯が食べられますようにと薪を3本置き、松などを飾る。白砂を土台に使うのは、緑が映え、水はけがよく、厄除けの意味もあるそうだ。 1週間経ったら、松の木だけを残してタラの木とモロの木を飾る。「足らん時は、モロんなさい」ということからきているとのこと。さらに1週間経ったら、御幣(神社の祭具)に見立てた柳の木とえのきにいっぱいのあわ餅を飾り、五穀豊穣を願っている。

この森家では、門と中門と蔵の3か所に門松を立てるため、2トンの白砂が毎年必要になるそうだ。

南九州市観光ガイド

知覧武家屋敷庭園群や知覧特攻平和会館周辺の戦跡等のガイドを主に行っています。 各コースにまつわる歴史やエピソードを紹介しながら、その土地ならではの魅力を案内いたします。

所在地
〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡6198番地4
電話番号
0993-58-7577

ツアープラン情報

ツアー名
知覧武家屋敷庭園ガイド
対象
個人・団体
教育旅行
料金
無料
(ただし、武家屋敷庭園入園料(大人530円)のチケットが必要です)
開催日時
9:00〜17:00
ガイドの空きがあれば、いつでも利用できます
ツアー時間
1時間程度
予約受付
7 日前まで
お問い合わせ
南九州市観光ガイド
TEL
0993-58-7577
定休日
年中無休
営業時間
9:00〜17:00
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