徳川四天王の筆頭の酒井家が1622年に庄内藩主として入部以来、現在に至るまで鶴岡で暮らし続けています。藩校致道館をはじめ鶴ヶ岡城跡の面影が残る鶴岡公園周辺をゆっくり巡ります。
北前船交易で発展を遂げた港町酒田の景観や文化は多彩です。海の玄関口ならではの、新しいものを受け入れる開放的な気風と、各地の文化が混じり合った面白さがあります。300年以上の時を経た今もなお、連綿と続いてきた歴史の息吹と、多様な文化が凝縮された湊町の風景を私たちに見せてくれるのです。
石垣の名城と言われる丸亀城は香川県丸亀市にある現存十二天守の一つです。当時最高技術の石垣と現存十二天守の中で一番小さな天守を持ち、日本の百名城にも選ばれています。ぜひ一度訪れてみませんか。
坂本龍馬は、天保6年(1835年)11月15日、現在の高知市上町に生まれました。このコースは、「龍馬の生まれたまち記念館」や龍馬の誕生地、龍馬が剣術修行に通った日根野道場跡、才谷屋跡、亀山社中のメンバーだった近藤長次郎邸跡などを巡ります。
四万十川の風景によく登場する「佐田の沈下橋」をはじめ、田園地帯の用水路沿いで“ことこと”回る水車「安並水車の里」などを散策します。
阿波おどり会館~阿波製紙水際公園~徳島城博物館までの町並みを散策した後、徳島城博物館で蜂須賀家に関する資料や道具と江戸時代の町並みの展示を見学する。※ 阿波踊り会館~徳島城博物館までは、「とくしま観光ガイドボランティア会」が案内。※ 徳島城博物館内は、「徳島城博物館ボランティア友の会」が案内。 徳島城の外堀の一角を占めた新町川を、民間の力できれいにして遊覧船を走らせていることには感銘を受けました。織田信長・豊臣秀吉の家来の蜂須賀家が徳島藩主として江戸時代を過ごしたことも知り、博物館では大変勉強になりました。
衣装や小道具、昔と今の鳴り物阿波おどりの変遷をわかりやすくパネルなどで展示されているミュージアム内を、ガイドさんの説明を聞きながらより深く理解していきます。 今まで阿波踊りは漠然と理解していたが、今回詳しく説明いただき、大変勉強になりました。阿波踊りがとても体力を使うことや歴史を通して阿波踊りの変遷など、阿波踊りに対する理解が深まりました。ありがとうございました。
最上川舟下りの美しい景勝地として、また、松尾芭蕉の「奥の細道」の舞台として知られている最上峡の奥深くに、「幻想の森」と呼ばれる樹齢千年を越える天然杉が群生する森があります。長い歳月、厳しい風雪に耐えてきた特異の風貌に、訪れた人々からは感嘆の声があがります。毎週末、ガイド付きバスツアーも行っており、ガイドつきで訪れていただけば、感動も倍に!幅広い知識と、温かい人柄のガイドが、皆様の旅をご支援します! 杉は根が浅く、風に弱いという印象でしたが、ここの杉はしっかりと根を張り、幹が太く今までの杉のイメージが覆りました。また、途中で幹が分かれる多幹性でもあり、その生命力には圧倒されました。
八幡神社を中心に開けた商港「八幡浜」。明治から大正期、「伊予の大阪」と呼ばれた商人の町。県内の主要都市では戦災を免れ、まちなかには当時の面影を残す建物があちこちに残っています。私たち「みてみん會」と意外な発見の旅、ご一緒しませんか?
栗林公園は江戸時代初期から百年以上かけ築庭された、園遊式大名庭園です。紫雲山を背景に6つの池と13の築山を配し、四季折々の景色が楽しめます。 栗林公園の歴史をはじめ、見どころの一つ一つを丁寧に説明いただき、大変よく理解でき、楽しむことができました。ガイドさんと一緒に回る価値を再認識しました。
薬王寺から大浜海岸までの美波町日和佐地区の町並みをご案内します。 江戸時代より廻船問屋で栄えた古民家、古民家を改装した都会からの移住者の新しい店舗、サテライトオフィスと地方創生カンパニー、うみがめのモニュメントや古い遍路標識等、新旧入り混じった「にぎやかな過疎の町」を案内します。 「あわえ」とは、こちらでの方言で集落の狭い路地の事です。 毎週土曜日13時30分から、オンラインガイドもおこなっています。 古民家を改装して多くの移住者が店舗や宿を始めていて、活気を感じました。ガイドさんとの結びつきがさらに深まり、店舗に入って時間を過ごせるようになるとさらに町の良さを体感できるように感じました。
四国八十八ヶ所第23番札所、厄除けの寺として有名な薬王寺の伽藍をご覧いただきながら、正しいお参りの仕方やお寺に伝わる不思議な伝説をお話しします。 女厄坂(33段)、男厄坂(42段)、還暦厄坂(61段)があり、各石段に落とされた一円玉が有名です。 厄坂をはじめ、厄除けに関係する場所がいくつもあり、歴史を感じました。瑜祇塔前から見る日和佐の町並みや海を臨む素晴らしい景色は、3つの坂を上ったつらさを忘れるほどでした。
室戸ユネスコ世界ジオパークの室戸岬サイトをガイドがご案内します。個性豊かな地元ガイドと一緒に歩いて、地球が動いている証拠を見つけてみませんか? 室戸の大地が今なお隆起している事実を聞き、びっくりしました。その痕跡が石(岩)を見てわかることも勉強になりました。
室戸世界ジオパークの魅力は、海岸沿いだけに留まりません。灯台周辺を歩いてめぐる『岬めぐりウォーク』では、かつては深海だった場所をめぐります。波の音や鳥のさえずり、風が森を抜ける音をBGMに、灯台へと続く森の小道~灯台~最御崎寺の境内を、ガイドと一緒にのんびり散策するコースです。
高松は、自然災害(台風・地震など)が少なく、また、魚・野菜・柑橘類や肉など食べ物がおいしいこともあり、日本で住みやすい都市ランキング第3位になっています。退職してから移ってくる人が多いのが特徴です。 当時と比べ狭くなったとはいえ、広大な敷地に江戸時代に建てられた櫓や石垣のガイドさんのわかりやすい説明を聞くと、当時の雰囲気を味わうことができました。また、大正6年に復元された被雲閣も、江戸時代を彷彿させる建物の造りや天皇陛下が泊まられた部屋の内装や外の景色に興味が引かれました。
屋島は屋根の形をした溶岩台地で、山上からは波穏やかな瀬戸の海と一体となった高松市街や多島美が一望できます。山上から見渡せる今から約800年前に源平合戦が繰り広げられた檀ノ浦周辺、山上には四国霊場第84番札所の「屋島寺」、そして唐・新羅の侵攻に備えて7世紀に築かれた屋嶋城の3つが見所です。 屋島が大昔の火山活動により特殊な地形になったことは勉強になりました。源平合戦の舞台を山上から見て歴史を感じ、7世紀に築かれた屋嶋城の立派な石垣に触れ、高松市街・瀬戸内の素晴らしい景色を見、そして四国巡礼の一つ屋島寺に訪れ、歴史・文化・自然に触れることができました。
起源は室町時代。応仁の乱の戦火を避けるため、関白一條教房公はここ中村(現・四万十市)に中村御所を構えました(現在の一條神社)。都を懐かしんだ一條公は、京都を模した碁盤の目状の街づくりをしました。昭和21年の南海大地震で昔ながらの街並みはほとんど残されていませんが、現在でも碁盤の目の街並みや鴨川や東山など京都に見立てた地名やゆかりの神社などもあちこちに残っていて、「大文字の送り火」や土佐一條公家行列「藤祭り」、「一條大祭」などの京文化の名残りもあります。 四万十市の中心の中村の町が、京都から来た公家により出来たことにはびっくりしたと同時に、ガイドさんたちが誇りを持っていることに感銘を受けました。
瀬戸内海に囲まれ、豊かな風土に彩られる伊予市。なかでも中心街の郡中(ぐんちゅう)と呼ばれるエリアは懐かしい町並みが残り、散策がぴったりです。穏やかな伊予灘の風を感じながら、ノスタルジックな町歩きを楽しみませんか。 民主導で造られた町は、活気が大いにあっただろうと想像しながら、見学しました。また、花かつおの製造が枕崎でも土佐でもない伊予市で盛んだということに、驚きを覚えました。そして、現在一般的に使われている栄養という言葉がお寺の名前からとられたことにはあっけにとられました。
世界中で2箇所(台湾の野柳地質公園)とここ竜串・見残し地区は1400~2000万年前の砂岩・泥岩からなる浸食台地で奇岩の景勝地として江戸時代から有名です。長い年月を経て浸食され、岩肌に自然が織りなす不可思議な造形美に感動していただけます。 海岸に出たと同時に、今まで見たことがない景色が広がり、目を奪われました。地層の浸食により出来た岩の模様な言葉では表現ができない情景でした。竜串海岸を今まで知りませんでしたが、このような景色に出会えたことに感動しました。
石の形は様々高さ6~7mほどの巨大な石がいくつも点在しています。自然によってできたものなのか、太古の巨石文明の名残か、はたまたパワースポットか、いまだ謎に包まれ、究めて稀なミステリースポットです。