1600年9月15日(新暦10月21日)午後、関が原合戦で西軍が総崩れになる中、最後まで戦場に残っていた島津義弘隊は、敵中突破による前進退却を敢行し、多大な犠牲を払いながらも大将の義弘を薩摩に帰国させることに成功させたこのことを、世に名高い「島津の退き口」という。
観光協会安心院支部では、ボランティアガイドが鏝絵見学や写真撮影希望の方に鏝絵の制作工程、歴史、特徴などのご案内をしています 中心街の約30ヶ所程度にある「鏝絵」の見学、仏教説話の地獄極楽を生前体験できる、ミステリアスな「地獄極楽」など、名所や旧跡もご案内しています。 また、巨石群のストーンサークルがなぞめく「京石」はペトログラフも発見されて話題となっています。 ペトログラフ=通常は岩絵と呼ばれる。また線刻(画・文字)と呼ばれたり、岩面彫刻、岩石線画、岩面陰刻と訳されることもある。
観光協会安心院支部では、ボランティアガイドが鏝絵見学や写真撮影希望の方に鏝絵の制作工程、歴史、特徴などのご案内をしています。 中心街の約30ヶ所程度にある「鏝絵」の見学、仏教説話の地獄極楽を生前体験できる、ミステリアスな「地獄極楽」など、名所や旧跡もご案内しています。 また、巨石群のストーンサークルがなぞめく「京石」はペトログラフも発見されて話題となっています。 ペトログラフ=通常は岩絵と呼ばれる。また線刻(画・文字)と呼ばれたり、岩面彫刻、岩石線画、岩面陰刻と訳されることもある。
昭和の町を知り尽くした「ご案内人さん」が方言を使って町の隅々までご案内。町の歴史や商人の楽しいエピソードを聞く事ができ、昭和の町の町の魅力のひとつになっています。
江戸時代の初め伊万里、有田、波佐見など西肥前一帯で焼かれた磁器はこの伊万里の港から国内はもとより長崎の出島を経て世界中へ輸出されました。その地名から「古伊万里」と呼ばれています。かつてその積出港として栄えた伊万里津の歴史など、市街地を散策しながらご案内いたします。
平戸観光ウェルカムガイドは、平戸及びその周辺地域を訪れる人々に対し、観光案内業務を行い、平戸及び周辺地域の豊かな歴史や文化、自然や街並みを紹介するとともに、環境保全活動を行い、地域活性化に寄与することを目的に活動しています。
はさみ観光ガイド協会は、やきものの町である波佐見町のすばらしさをできるだけ多くの人に感じていただきたく日々活動しています。やきもののほかにも、自然と歴史がこの地にはあふれており訪れるお客様に波佐見町の魅力をお伝えできるように努めています。皆さんのお越しをお待ちしております。
シンボルの唐津城をはじめ、勇壮な曳山が並ぶ曳山展示場、レトロな外観の旧唐津銀行など、唐津には魅力的な観光スポットがいっぱい。どこに行くか迷ったら、知識豊富なガイドと楽しむ街歩きがおすすめです。説明を聞きながら巡れば、往時の情景がありありと目に浮かぶはず。歴史ロマンあふれる唐津を、ゆっくり探索してみませんか?
本施設は、旧日本海軍が大正7年(1918)~11年(1922)にかけて建設した送信施設です。日露戦争を契機として無線連絡体制の強化が必要となり、建設されました。敷地内にある3基の無線塔は、いずれも鉄筋コンクリート製で高さ136m、基底部の直径約12mの煙突のような構造になっています。近年の調査により、本施設が建設された歴史背景とともに、土木技術や無線技術の面からも高く評価され、日本技術を象徴する近代化遺産として重要文化財に指定されると同時に、日本遺産にも指定されています。ぜひ一度見学ください。
長崎の観光地といえば、グラバー園や眼鏡橋、大浦天主堂や平和公園などを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、小さな路地を入ったところ、曲がりくねった石畳の坂道を上りきったところにこそ、長崎の本当の魅力は眠っています。長崎の良さを味わうのは、まちを歩くのが一番なのです。「さるく」とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁。まち歩き観光「長崎さるく」では、長崎名物・ガイド付きまち歩きツアーをご用意しています。さらに、進化を続ける「長崎さるく」の楽しさは、まち歩きだけではありません。長崎ならではの歴史や文化、歳時記を味わっていただく「まち体験」こそが「長崎さるく」の醍醐味です。ぜひまちなかに残る建物や橋、そしてそこで過ごした先人たちに思いを馳せながら、長崎のまちをさるいてください。たとえ歩くのが苦手な方でも、きっと長崎の魅力が感じられる「さるく」が見つかるはずです。
湯けむりがもくもく上がる街「小浜」。でも湯の街だけではない魅力が小浜にはあります。歴史、文化、グルメ、そして人の温かさに触れてみませんか?島原半島ユネスコ世界ジオパークの認定ガイド「小浜ジオーズ」が、楽しく皆様をご案内します。小浜の「謎」とは何か?それは風景の中に隠されています。町を歩きながら“からだ”も“こころ”もほっこり、一緒に謎を解き明かしましょう!
日本唯一の外征の城・名護屋城。豊臣秀吉が大陸進出を図った文禄慶長の役に、国内拠点として築いた巨大な城です。当時大坂城につぐ規模を誇り、周辺には全国から集まった戦国大名の陣屋が130以上も建てられ人口20万人を超える城下町が出現しました。国内でこれほど名だたる武将が一堂に会した城・陣跡はありません。420年前の石垣がそのまま残る「幻の巨城」をお楽しみください。
戦時遺構が残る町、川棚町をゆっくり散策。時が止まっているその場所を、その目で、その体で、感じてみてください。きっとあなたに何か語りかけてくれるはずです。魚雷艇訓練所跡、片島魚雷発射試験場跡、疎開トンネル工場跡など、の遺構をご案内します。
旧古賀銀行をはじめ、7か所ある歴史民俗館は、旧長崎街道沿いにあり、館内の見学とともに、歴史的建造物が立ち並ぶ界隈を、ガイドのうんちくを聞きながら歩くツアーは、佐賀市の歴史を十分味わえます。それ以外にも、野中烏犀園を始め、江戸・明治時代から続くお店を回りながら、お店の人の話しを聞き、地域の人々との出会いも他にはない魅力です。そのほかのツアーも含めて、ディープな佐賀市の街歩きを一緒に楽しみませんか。
島原にはたくさんの観光地がありますが、その歴史やドラマは見学をするだけでは伝わりにくい面があります。 町の当たり前にある石垣にもロマンが隠されていたりするのです。そんな時に力強い味方が島原観光ボランティアガイドです。豊富な専門知識で島原の魅力を伝える、まさしく『島原観光の達人』です。歴史・ジオパーク・湧水、ニーズや年齢、性別等に合わせて、観光コースを設定して、案内しますので、お気軽にお問い合わせください。
大村氏は、古代平安時代に藤原直澄が四国から移り住み大村氏を名乗ってから、中世の戦国時代、江戸時代から幕末、明治維新にいたるまで絶えることなく大村地方を治めてきた、非常にまれな大名です。肥前大村藩二万七千石の城下町の風情を今もなお残す現在の大村市。町のあちこちに今も残る武家屋敷跡や石垣をゆっくりと歩いて散策してみてはいかがでしょう。
鳥栖市は、長崎街道の二つの宿場町、対馬藩田代宿・佐賀藩轟木宿があり、歴史を感じさせる所が随所にあります。藩またぎならではの歴史もあります。また、明治20年代には、鉄道が走り、明治38年にできた鳥栖駅はいまだに現役で、当時の面影をいくつも残しています。駅周辺のえびすさん巡りとともに、ガイドの豆知識や昔話を聞きながら、ガイドの話しを聞いてみませんか。
和水町北部に点在する身体にまつわる八つの神様をご案内します。「目」「イボ」「胃」「性・腰」「歯」「命」「耳」「手足」の八カ所は和水町で昔から身近な神様として親しまれており、身体の気になる箇所の神様を巡り健康を祈願します。八つの神様のかわいらしいキャラクターは地元の子ども達に大人気です。ほかに、和水町出身で日本初のオリンピック出場マラソン選手、金栗四三さんの生家や、戦国時代末期、肥後国衆一揆の舞台となった国指定史跡、田中城跡もご案内します。